fc2ブログ

その他雑記など

二面石

 ←十七烈士之墓 →追悼その5
 奈良朝以降、我が国は急速に木造・木工文化が発達を遂げますが、それ以前の時代においてはどちらかと言うと石造・石工文化が色濃かったように感じています。現在の橿原市や明日香村などを中心とした数多くの遺跡には、非常に特徴的な石造物が数多く見られますし、中世以降になってからもこの地には庚申塚や地蔵などの石仏、常夜灯などが数多く作られ、石の文化が根付いている地のようにも思います。
 画像の二面石は、聖徳太子縁の寺として夙に有名な橘寺の境内、太子像の鎮座する本堂の南側に置かれていますが、ご覧になった方も多いのではないでしょうか。寺が設置した看板には『善悪二面があり、人間の心の持ち方を表す』といった意味の説明がなされていますが、右が善面、左が悪面と説明されても素直になるほどと思える方はそう多くは無いのでは…と感じます。
 実際のところ、この石は飛鳥時代からここにおかれていたわけではなくずっと後代になってから設置されたとのことですので、看板の説明も後付けであるのは間違いないようです。また別の記事で取り上げたく思っていますが、明日香の地にある有名な石造物の一つに猿石(一つではないですが…)がありますが、これらにも二面が刻まれたものが複数あり、この二面石も江戸期に猿石が田地から掘り出された(現在の欽明帝陵南側と伝わります)際に一緒に出土したものと推測されています。それが一体どういう経緯で当寺に持ち込まれたものかは不明ですが、少なくともこの石が刻まれた飛鳥時代には、もう少し異なる意図を持って造られたのではないでしょうか。
 そう思ってよく見ますと、善悪二面というよりも、オーストラロイドとコーカソイドそれぞれの特徴を有した異邦人の顔のようにも見えますし、ややおどけた様な表情は明らかに見る者を楽しませる目的があったのではないかと感じます。往時、この明日香の地には大阪湾(難波津)から直接船で朝鮮半島や大陸からの使者が訪れることが出来た言われていますが、これらの石造物は、その様な諸外国の施設をもてなすための迎賓館のようなところに設置する目的で作られたのではなかろうかと想像してみます。近年の発掘調査で、ここ明日香の地には噴水などを随所に配した大規模な庭園が存在したものと考えられていますが、この二面石や猿石も、その庭園に設置されていたと考えるのが妥当なところではないでしょうか。もちろん、それが公的な庭園ではなく、隆盛を極めた蘇我氏一族の邸宅内だったりはするのかも知れませんが…。


二面石

関連記事
スポンサーサイト





にほんブログ村 ゲームブログ 艦隊これくしょんへ
  • 【十七烈士之墓】へ
  • 【追悼その5】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。

~ Trackback ~

卜ラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【十七烈士之墓】へ
  • 【追悼その5】へ