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壇ノ浦と赤間神宮

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 人道を通って関門海峡を渡り、地上に出た処が壇ノ浦の古戦場です。
残念ながら合戦の跡が残っている訳でも無く、八百五十年近くも前にこの地で何が起こったのかを偲ぶ縁もありませんが、平氏一門の滅亡の地としては余りに明るく風光明媚な場所ではあります。

 壇ノ浦を象徴する二つの像が海辺に建てられています。向かって左が源義経の八艘飛びの像、向かって右が平知盛入水の折の所謂『碇知盛』像です。二つ並んで建てられている事から、中には知盛が碇を振り上げて義経に挑みかかるのを八艘飛びで躱したなどと勘違いする方もおられる様ですので、できれば配置を逆にするとかして欲しかったところではありますが…。なお、『碇知盛』は謡曲にもなっており、長年に渡りイメージが固定していますが、平家物語においては碇を重石として背負い入水したのは平教盛・経盛兄弟だったりします。

壇ノ浦

 壇ノ浦古戦場から南西に一km程行った海岸沿いに鎮座するのがこちらの赤間神宮です。同社は貞観元年に阿弥陀寺として開山し、壇ノ浦の合戦後の建久二年以後は安徳帝御影堂として長らく尊崇を受けた寺院でしたが、明治の神仏分離令により神社となりました。当初は天皇社と称していましたが、昭和十五年に官幣大社に昇格した際に赤間神宮と称する様になり現在に至っています。

赤間神宮水天門

 ご祭神は安徳帝であり、境内西端には安徳帝阿弥陀寺陵もありますが、こちらの陵墓は明治二十二年の宮内省令によって治定された折にも明確に『擬陵』とされており、あくまでも形式的なものと承知した上での陵墓です。なお、安徳帝の亡骸は合戦の翌日に漁師(中島組とも伝わります)の網に掛かって引き揚げられ、当社から数km西の下関市伊崎町に仮殯されたとの伝承が有り、現在も同地には同社の御旅所が設けられています。また、同じ下関市内ながら数十km北の山中に安徳帝の陵墓参考地があるとのことですが、そちらは未見です。

赤間神宮拝殿

 拝殿の前にはこんな碑もあったりします。まぁ真相はいざ知らず、その春名氏は一体どうやってその出土物を本物の八咫鏡であると同定したのか伺ってみたい処ではありますね♪

八咫鏡奉鎮碑

 こちらが壇ノ浦にて落命した平家一門の合祀墓、通称『七盛塚』です。こちらには平知盛卿や二位尼を始めとして、先程も触れた教盛・経盛兄弟、剛勇無双の能登守教経、清経、資盛、有森、家長、忠光、景経、景俊、盛継、忠房の諸卿が祀られています。
壇ノ浦の合戦の詳細は省きますが、最早敗勢が決定的となったと見た知盛は、二位尼や建礼門院(当時はまだ平徳子)が帝を奉ずる女船に乗り移ると「世のなかはいまはかうと見えて候。見苦しからん者共、みな海へいれさせ給え」と言って船内を掃き清め始めます。これを見た女御達が「中納言殿、戦さは如何にや如何に」と口々に問うと「めづらしきあづま男をこそ御覧ぜられ候はんずらめ」と言ってカラリと笑って見せたため、彼女達も最期の時が来たと悟ったとの事です。
そんな女房衆からの視線を受けて立った二位尼は、宝剣を腰に差し、璽と鏡とを身に付けると帝を促しますが、この折幼帝は「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」と問い掛けます。それに対して尼は「君はいまだしろしめされさぶらはずや。先世の十善戒行の御力によって、いま万乗の主と生まれさせ給へども、悪縁にひかれて、御運すでにつきさせ給ひぬ」と応じ、帝が都と西方とを拝するのを待ってから腕に掻き抱き、あの有名な言葉「浪の下にも都の候ぞ」と声を掛けて入水します。
二人の後を追って建礼門院を始めとする女達も従容として次々に入水し、将たちも次々と入水して行きますが、只一人教経だけは戦い続け、総大将源義経の乗船に切り込みますが、敵わぬと見た義経は船から船へと飛び移って逃げてしまいます。
この場面が所謂『八艘飛び』な訳です。
その後教経は、大力無双で知られる安芸太郎実光と次郎兄弟らの挑戦を受けると、彼らをがっちりと手挟み「いざうれ、さらばおのれら死途の山のともせよ」と叫んで海に投じて最期を迎えます。
これらの一部始終全てを見届けた知盛は「見るべき程の事は見つ。いまは自害せん」と言って乳兄弟の伊賀平内左衛門家長に向かって「いかに、約束たがふまじきか」と声を掛けますが、家長は「子細にや及び候」と短く応じて知盛共々鎧二領を着て(体が浮かばぬように重石として)、互いに手を取り合って入水して果てました。
この塚の下には、無論彼らの亡骸こそありませんが、眼前に広がる壇ノ浦こそが彼らの墓標なのかも知れません。 合掌

七盛塚

 七盛塚のすぐ脇にあるのが『耳無し芳一』こと芳一堂です。この昔話の由来がこの地にあった阿弥陀寺が舞台であった縁から建てられた小堂です。

芳一堂

 境内からはかなり離れますが、関門橋の真下近くにあるのがこの烏帽子岩です。毎年十二月十日なると、同社の禰宜が海上からこの烏帽子岩に乗り移って注連縄を張り直すと言う神事が行われます。Y.E.Hもこれが見たかったのですが、そのタイミングで訪問する事が出来ませんでしたので…。

烏帽子岩

 え~、少々壇ノ浦合戦の部分が長くなりましたが、清盛・宗盛は兎も角平家の公達にはかなり心情的に入れ込んでいるY.E.Hとしましては、いずれこの平家一門の栄枯盛衰を取り上げて見たいと思い続けております。また適切な時期と気力が充実した頃にでも出来れば良いなと思ってはいるのですが、何時になる事やら…。

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